2014年7月7日。越山晃司氏により「アスクレピオス製薬株式会社」は埼玉県にひっそりと設立された。
翌2015年度の決算期の売上は、4,974万円、営業損失約 2,497 万円、当期純損失約 2,501 万円だった(アスク社・社内資料より)。
その後、年商72億円と、驚異的な伸びを見せるが(2019年度決算期)、その片鱗はまだ微塵も感じられなかった。
そして2016年、運命が二人を引き合わせる。
「3000万円貸してください!」
インタビュアー 「当初、どのような経緯で、越山晃次氏(前・アスクレピオス製薬株式会社社長)と出会ったのでしょうか」
三崎「最初は通販に関する勉強会で知り合ったんですよね。その後、越山氏から『お金を貸して欲しい』という申し出があり、話し合ったという経緯があります」
―「お金を貸して欲しい」、つまり借金のお願い、という事ですね? 金額はいくらを要求されたのですか?」
三崎「3,000万円ですね」
―既に銀行からの借り入れは限度額一杯だったのでしょうか? 個人に突然、借入れを申し出るにしては大きな金額に思えます。
三崎「そうですね、自分としても、もちろん乗り気という事ではありませんでしたが、何度も頼まれました」
―結果的に申し出を受け入れたのですね?
三崎「はい、度々とお願いされ、同じ経営者としてなんとか助けてあげられたら、という事で、3,000万円を、結果的に貸しました」
―その3,000万円はアスクレピオス製薬株式会社の「株主」になって欲しい、という事と関係していますか?
三崎「いや、当初は関係なかったですね。お金が無いので貸して欲しい、という事に過ぎませんでした。ただ、当初、越山氏と、もう一人、株主がいて(N・M氏)、その方と越山氏が揉めていて、その方が自分の持ち分の株を買い取れ、と言っている、というような趣旨の事は聞かされていました」
越山氏の二つの矛盾(ウソ)
(注:ただし越山晃次氏が取引先に送り付けた文書上や、2020年4月3日付けのSNS上で、彼は、
「当社(アスク社)は、私が平成26年7月に『100%出資』で創業した会社であり、
『設立から現在に至るまで私が当社の代表取締役を務めています』」と記載。
500万円を出資し、共同代表だった「N・M氏」の存在すら無かった、事としている。
つまり、越山氏のこの記述には二つの「矛盾=ウソ」がある事となる)。
―N・M氏と揉めていて、そのN・M氏の持ち分の株を買い取る為に、その「3,000万円」が必要で、そのお金を、三崎さんに無心して来た、という事ですか?
三崎「結果的にはそういう事になります。ただ、僕としては、株がどうの、という事は当初、無関係でした。単に、越山氏が、『お金を貸して欲しい』という事に、応えたに過ぎませんでした。
その後に、越山氏が、『返すお金がないから、そのまま3,000万円で株主になって欲しい』と言われ、結果的に、アスクレピオス製薬株式会社の筆頭株主になって欲しいと頼まれました」
話の流れで三崎が筆頭株主に・・・
―話が変わって来たんですね? それについては、どう応えになられましたか?
三崎「断りました。当初、そういうつもりでお金を貸したわけではありませんでしたから」
―越山氏は取引先に送り付けた書面やSNSで、こう書いているようです。「平成28年8月1日、私が所有していたアスクレピオス製薬の株式600株(過半数を超える)を三崎氏に譲渡しました」。やや、ニュアンスが違いますね。三崎さんが積極的に、アスク社の株を欲しがったかのような言い方に聞こえる方もいるように思います。
三崎「そのようですね。でもそれに関しては、当時のやりとりの物証もあります。僕は当初は断っていました。しかし、最終的には、彼の求めに応じる形で、過半数を超える形でアスク社の株主になりました」。
「陳述書」として、こんな記録が残っている(2020年1月10日付け)。
2014年7月7日。越山氏は500万円を出資して、会社を設立(アスクレピオス製薬株式会社)。
翌2015年1月16日。『N・M氏が500万円を出資し、共同代表取締役となる』。
その後、銀行借り入れを積極的に行いたい越山氏と、反対するN・M氏の間で意見の対立があった。
2016年7月17日。関係は修復できず、越山氏がN・M氏の保有する「株式500株」を、「3000万円」で買い取る事態へと発展。
この金額に関しては関係人の顧問税理士にも相談し、当時の業績を見て判断され、これについては陳述書を踏まえて合意された。
つまり、この「陳述書」で、越山氏は、「N・M氏の存在」と、「いきさつ」を自ら認めているのだ。
にも関わらず、越山氏は、こう言っている。
彼は自身のSNS上で「当社は、私が平成26年(2014年)7月に100%出資で創業した会社であり、設立から現在に至るまで私が当社の代表取締役を務めています」。
これは、いわく付きのウソである、と言わざるを得まい。
そして、拝み倒して、三崎から3000万円を借り、それを「N・M氏」に渡し、「N・M氏」は越山氏の元を離れて行った。「3,000万円」を現金で返す見込みの付かなかった越山氏は、「1株5万円」で「600株」を三崎に持って欲しいと懇願する。
筆者の手元には、その「株式譲渡契約書」がある。平成28年8月1日付だ。
金銭に困っていた越山氏に温情で3000万円を貸し、行きがかり上、筆頭株主になってあげた三崎優太。
この、まごう事無き約束がこの後、突然、覆されるとは、この時、三崎はまだ知る由も無かった。
埼玉にあった越山のアスク社がメディアハーツに居候
越山氏に度々と懇願され、人情から3,000万円を貸し、それを株という形で戻され、結果的に、アスク社の過半数を超える600株を持つ筆頭株主となった三崎。
2016年8月1日付けでのことだった。
こうしてアスク社の筆頭株主となった三崎氏は、18歳で設立した自らの企業、株式会社メディアハーツの経営と共に、アスク社の業績を伸ばすべく、日々、尽力する。
―具体的には、アスク社に対して、どのような関わり方をされていたのでしょうか。
三崎「当初、越山氏は埼玉県さいたま市を拠点にしていました。ですので、まずオフィスを、メディアハーツ(現・ファビウス)の中に置くようにしました」
―いわゆる「間借り」「居候」ということですね?
三崎「そうです。それと共に、経理に関してもメディアハーツ(現・ファビウス)の元社員Aが、アスク社の経理も引き受けていました。銀行印、通帳、振込パスワード等はメディアハーツ(現・ファビウス)で預かり、管理していました。
また、平成 28 年 7 月 26 日、僕個人から越山氏に1000 万円を貸し付けました。
さらに、法人としてメディアハーツ(現・ファビウス)からアスク社に対し、平成 29 年 7 月 24 日に貸付金として3 億円を年 0.5%で行いました。以降、平成 30 年 11 月 28 日にも、1 億円を年 1.6%という低金利で貸し付けています」
―まさにアスク社を「子会社」として「親会社」が出来ることをしてあげたのですね。
三崎「そうですね。それは経理だけではありません。業績向上の為に、事業の具体的な方法論について手引きして来ました。優秀なアフィリエイターさんを紹介したり、コールセンターに関する知識を授けたりしました。こうしたほうがいい、こうすればもっと売上が上がる、というように、メディアハーツでの成功事例を、余すことなく、アスク社に注力していきました。また人材採用についてのアドバイスも行いました。それらの成果として、メディアハーツ同様、飛躍的な業績の伸びを見せたのだと思います」
(注:アスク社の年商は2017年度・決算期1億7392万円、2018年度・決算期24億6557万円、2019年度・決算期71億7722万円と、驚異的な伸びを見せている/アスク社経理資料より)
「三崎さんは経営に関与していません」
ところが、越山氏自身は、今になって、突如、こう言う。
「アスクレピオス製薬は、私が自身の判断で経営をし、連帯保証のリスク等も背負いながら大きくした会社であり、他方で、三崎氏は平成26年8月1日に3000万円の出資をしたに過ぎず、同社の経営には基本的に関与していません」。(越山晃司氏取引先に送り付けた文書及びSNS 2020年4月12日投稿)。
三崎は関与していない? 越山氏は、そう、ハッキリと宣言している。
「(三崎は)3000万円を出資したに過ぎない」。どういう事なのか? これは…。全くのウソではないか?
居候。通帳・印鑑を預け経理を委託。そして大金の貸付。業績向上の為の三崎による具体的指導。
それを「三崎氏は経営には基本的に関与していない」とバッサリと切り捨てるように言い放つ越山氏。
これでは、全く真逆の言い分ではないか。両者、話が逆さまである。
しかし、ここに、こんなやりとりがある。
そう、少なくともこの頃までは、越山氏と三崎氏との関係は良好であり、業績もうなぎ上りと好調であった。何もかもが、上手く運んでいたはずであった…。

アスク社提供
三崎氏は、彼方を振り返るように、遠い目をして言う。

(越山氏のSNSより)
三崎「いつのことだったでしょうか。日時は思い出せませんが、越山氏の結婚式に出席をしたことがありました。その時に、『スピーチ』を頼まれたんです。依頼に応え、当日、スピーチをしました。

(越山氏より「三崎さんへ 結婚式のスピーチをお願い」とある)
通常、関係が上手くいっていなければ、大事な結婚式でのスピーチなんて、依頼しませんよね」
越山と三崎。二人はこの頃、互いに思いやりに溢れた関係性を築いていた。
「三崎さん、株の件ですが・・・」
三崎は、資本3,000万円で筆頭株主となり、当時、埼玉を拠点としていた越山氏に、自分の都内のオフィスを間借りさせ、経理の代行をし、大金を貸付け、売上向上の為にメディアハーツの持つノウハウを、余すことなく教えた。
その結果、アスク社の業績は年々、うなぎ上りとなっていく。
それは「メディアハーツ社」(現・ファビウス)の驚異的な売上向上を彷彿とさせるものであった。

(通販新聞社記事より)
そう。つまり、アスク社の1株あたりの株価が、上がっていくのである。
読者の中には株の知識のない方もおられよう。つまり、会社の成績=業績があがれば、株の価値は上がる。
これは、上場企業であれば勿論のこと、非上場企業であっても基本的には同じ構造だ。
業績を年々、上げていったアスク社は、株価をどんどん上げていく。
三崎と越山氏の持つ、株、それぞれが当初の額より大幅に上がっていったのだ。
当然、このような上昇気流に乗ったアスク社の業績推移に関して、三崎、越山氏、そして社員一同、皆で、一様に喜んでいたであろうと思うのだが…。
ところが、そんな中、事件は起きた。
三崎の脱税逮捕、手のひら返しの越山氏。
三崎は、突如、法人税法違反などの疑いで東京地検特捜部に逮捕されてしまう。
2019年2月12日付けでのことだった。

三崎の元に特捜部が動いた
「突如、越山氏の態度が豹変しました。まるで手のひら返しです」(三崎)。
2019年3月。
越山氏は突如、三崎に、「(三崎の持つ600株)株を譲って欲しい」と言い出したのだ。
三崎は言う。
「もちろん、僕は断りました。なぜそんな事を? なぜこのタイミングで? と。不信に思いましたし、ショックでした」
しかし、もちろん、三崎は自身が逮捕された件について、周囲に与える影響も理解していた。
「僕がいることで、もし会社にマイナスが生じてしまっているなら大変、申し訳ない。会社を清算しましょう、と、その時、誠意を持って(越山氏に)伝えました」。
それについて彼自身、一旦は了承し「円満に解決」したいと連絡してきた。
そして、越山氏は「(アスク社)会社を『売却』をして恩返しをします」と、三崎に謝罪をする。

(アスク社提供)
事態は、円満に解決したかのように見えた。
ところが、その一方で、越山氏の不可思議な行動が、水面下で始まっていたのだ・・・・
うごめき始めた黒い闇・・・
三崎「僕が自分自身のSNSでの活動や、裁判等で多忙を極めていたその裏で、(越山氏は)まず、(アスク社の)経理部門の機能の取り決めを反故にし、奪いました」
経理部門の取り決めを奪う…?
具体的には、会社の命である「印鑑、通帳、銀行オンラインのパスワード」等に関する取り決めだ。

のちに全て越山氏によってそのほとんどが引き出され、解約された事が発覚した
それまでは、メディアハーツ(現・ファビウス)がアスク社の経理も請け負っていた。
しかし、三崎が脱税容疑で逮捕された直後、前述の具体的、物品を奪った、と三崎は言う。
その頃、メディアハーツ(現・ファビウス)側の経理関連の担当者は、A氏だった。越山氏はA氏に対して、こう囁(ささや)いたと言う(裁判資料より)。
「Aさん、あなたは三崎さんの事件の関係で多忙なのではないですか?そちらに集中してくださいよ。我々の(アスク社)経理は、自分たちでやりますから」。
多忙を極めていたA氏は、話を額面通り受け取り、感謝したという。
まさか、のちのち、越山氏が、恐ろしい暴挙に出るとは考える間もなかったのだ。
そして、この暴挙のワザには、越山氏のみならず、当時のアスク社サイドの経理部門の責任者である、「フクシゲ氏」(女性社員)も、加わっていたと思われる。
(注:2020年7月、編集部では当時の真実を聞くべく、経理の「フクシゲ」さんの、携帯番号を入手。連絡を試みた。早速、ここで、電話をしてみたいと、編集部は、会社から「フクシゲ」さんに電話をしてみた。
電話は繋がった。
ー編集部「もしもし、私くし〇〇と申しますが…」
なんと、単に姓を名乗っただけで、急に、フクシゲは「…今、話せませんので」と、一方的に電話を切られてしまった。なぜだろう? 名乗った姓は、「山田」「鈴木」「松本」など平凡な名前だ。姓しか名乗っていないのに、けん制された格好だ。以降、フクシゲさんに電話は繋がらなくなった。)
愛汁(えちる)となった三崎の背後でうごめく影…
2019年9月5日。季節は夏から秋へと移ろいゆこうとしていた。
三崎に、東京地裁に於いて「懲役2年、執行猶予4年」の判決が下る。
同時に、法人としての(株)メディアハーツ(現ファビウス)にも、罰金4,600万円が言い渡された。
判決を待たずして、三崎は、自らの力で、わずか18歳で作り上げた年商130億円の「(株)メディアハーツ」の代表取締役を、2019年6月12日付けで、辞任せざるを得ない状況となった。
SNSを通じて、自らの真実を世に問うべく、時に、もがくかのように「青汁劇場」を繰り広げていた三崎。

毎夜、指名が入りここでも売上はうなぎ上りだった

愛汁として話題をさらった

ホストとして歌舞伎町中から注目を浴びた
それは、ある者には奇怪に見えただろう。ある者には炎上目的の売名行為に見えたかもしれない。時に目を覆いたくなるような痛々しささえ、含んでいた。
筆者には、そのどちらにも取れた。
いずれにしても、三崎は、日々、多くのフォロワーを大幅に増やしていった。
SNS上の新たなスターの誕生であったのは疑いようもない事実であった。
三崎が「三崎愛汁(えちる)」との源氏名で短期間、新宿・歌舞伎町でホストを演じていた頃だ。
越山氏とその周囲の輩は水面下で、「ある事を実行しようと動いていた」と、三崎は言う。
実は、以降の話は、三崎はSNS上で軽々しく発信することはなかった。
係争中の話であると共に、ホストや裸体などを晒して見せても、やはり彼は経営者だった。
語るべき時が来るのを待っていた。
そして以降の話は、初めて、きちんと今、まとめてここで、語る事となる。
・・・・・「今がチャンスだ。三崎の株を奪う時が来た」。
越山氏、そしてカネで雇われた連中が、そう、高笑いをしていたという。
しかし、この時の三崎は、まだ、そんなことを、知る由もなかった…。
(尚、この疑惑・疑念に関しては相手側である「越山晃次氏」ほか幹部にもコンタクトを試みているが現時点で応答はなかった)
インタビュー・文/MIU
撮影/石黒幸誠(go relax E more)